A Survey of Results on Large-Scale Brain Simulation

脳の情報処理におけるアルゴリズムを抽出して忠実に 実装することは,優れた「知能」を設計するための一つ の方法である.近年の実験データの蓄積と計算機の発達 により,脳全体あるいはその一部を忠実にコンピュータ 上に構築してその活動を調べる「脳シミュレーション」 の研究が活発になりつつある.本稿では,脳シミュレー ションの基本的な枠組みを説明した後,大規模脳シミュ レーションを行った米国の二つの研究プロジェクトを紹 介する. 我々の脳は莫大な数(ヒト: 100億,マウス:数千万, 昆虫 :数百万)の神経細胞(ニューロン)から構成され る.他の神経細胞からの入力電流を受けて,神経細胞は スパイク(電気パルス)を生成する.脳の情報処理は, 神経細胞がスパイクを用いて情報のやり取りを行うこと によって行われている.スパイクによる神経細胞間の情 報伝達は「シナプス」(神経細胞間を接続する電線のよ うなもの)を通じて行われる.脳シミュレーションでは「脳」 をシナプスで接続された神経細胞の集団として表現し, 神経細胞とシナプスを数理モデルを用いて表現する. 神経細胞とシナプスの数理モデルから構成されている 点においては,脳シミュレーションモデルはニューラル ネットワークと同じである.しかし,その目的は大きく 異なる.脳シミュレーションは「脳機能」の理解および 再現を目的とする.そのため,シミュレーションの構成 要素が生物学的に妥当なものか,あるいは,シミュレー ションが観測される脳の振舞いを再現できる,予言能力 をもつかどうかが重要とされる.一方,ニューラルネッ トは工学的応用を目的とするため,識別問題などの実問 題に適用した際の性能の良さが重要とされる. 脳のシミュレーションを行う理由について考えてみよ う.脳科学では一般に計測を行うことが困難であり,技 術的あるいは倫理的な理由により実現不可能な実験が多 い.一方,シミュレーションでは,構成するすべての神 経細胞モデルの活動を観測できるため,どの神経活動が 重要であるかを系統的に調べることができる.また,実 現するのが難しい実験でもシミュレーションモデルを変 更することで実行できる.例えば,神経細胞の数を減ら すにはシミュレーションモデルで用いる神経細胞数を減 らせばよいし,神経細胞間のシナプス結合を遮断するた めにはシナプス結合強度を 0にすればよい.薬品の効果 が脳活動に与える影響についても,シミュレーションに よって調べることができる.例えば,ナトリウムチャネ ルを阻害する薬品としてテトロドトキシン(TTX,フグ 毒の成分)が知られている.TTXが神経細胞の電気活動 へ与える影響をシミュレーションで調べるためには,細 胞膜を流れるナトリウム電流を 0にすればよい. 本稿の構成は以下のとおりである.2章では,脳シミュ レーションの基本的な枠組みと本稿を読むために必要と なる神経科学の基礎知識を紹介する.3章では,脳全体 のシミュレーションを試みた研究 [Izhikevich 08]を紹介 する.では,脳のシミュレーションモデルを搭載したロ ボットを開発し,迷路課題実験を行った研究 [Krichmar 05]を紹介する.